2016年6月24日金曜日

安岡正篤と中村天風は読むな。(*^_^*)

いつもありがとうございます。林雄介です。(*^_^*)

理由は簡単。門下生に薄っぺらい政財界人が多いから。安岡正篤の本を読んで、安岡正篤を越すのは無理。平成の元号を立案したということは、日本人で最も漢学に精通していたということ。

ですから、安岡正篤さんは優秀ですよ。しかし、安岡正篤からスタートすると、古典を読む時間がなくなると思うんですよ。というか門下生が、安岡正篤より古典を読んでいるとは思えないのです。
もちろん、安岡正篤在命中であれば、学ぶものは大きかったと思いますが…。

安岡正篤さんも、中村天風さんも優秀だけれど、じゃあ孔子や孟子や老子や釈迦より立派なのか?。ですから、優先順位をつけるならば、孔子や孟子や老子や釈迦の古典から読破していき、最後にさらっと読むならいいんだけど、普通の人は安岡正篤や中村天風でとまってしまう。

歴史上の偉人だと、日蓮と空海の著作も同じ。大量に文章を書いていて、頭が良くて、立派な文章を書いているから、空海なら空海。日蓮なら日蓮の世界から抜けれなくなるんですよ。

自分より格上の人間を紹介してあげて、その人達の本を読むように導いてあげるならいいんだけど、安岡正篤や中村天風。あるいは空海、日蓮の世界から抜けられなくなる人が多い。ですから、読まない方がいいですよ。
はっきり書くと人間としての進歩がとまる。日蓮も数冊以上読まない方がいい。私の本は、抜けられなくなるなるような書き方していないです。やろうと思えば、そういう書き方もできますが、やらないだけ。

人というのは、釈迦、アリストテレス、プラトン、ソクラテス、孔子や孟子、老子を敬ったらダメなんです。敬ったら抜けなくなるから。礼だけ尽くして、越えなきゃいけない。越えるんだと思って努力しなきゃいけない。
そういう意味で、安岡正篤や中村天風を基準にされると困るんです。本当は、人間を基準にせず、神を基準にした方が能力延びますけどね。

人間というのは、観音様を越さないといけない。これ、1つの人間の努力目標の基準です。観音様を越させてくださいと祈って努力したら、そういう試練がたくさん来て、聖人になれますよ。

林雄介with,you。