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「聖王とは、境地なり。」
「神の境地となり、自然現象をある程度以上、自由にコントロールできるようになった聖人が古代中国儒教が理想とした聖王である。」
自然災害や作物の収穫、あるいは漁業の漁獲量のコントロールが可能だったゆえに、即位するだけで、国がおさまったのである。
古代エジプト、天皇も同じである。
精神文明は、古代エジプト、古代ギリシア、古代中国、古代日本ですでにほぼ完成していたのである。
ゆえに、ローマ帝国以降は、科学文明、唯物論中心に人類を発達させたのである。
21世紀から30世紀にかけ、精神文明を主体とし、科学文明と調和した社会になる。しかし、数世紀は地上天国の実現と人類の滅亡が隣り合わせで進むのである。
預言は、当てればよいというものではない。近未来の預言は、霊界でできあがった世界を預言者が読み取っているだけである。霊界に現れたものは、天界が改善可能なものである。
また、改善不可能な未来は、どのような預言者であっても、「教えてもらえない」のである。
神が人間の預言者に教えるのは、改善可能な未来だけである。
ゆえに、預言された災害や不幸は回避可能である。そもそも預言とは、このままいけば、起こりうる霊界に現れた、現実世界に起こる手前の出来事である。
神は人間がかわいいので、不幸や災害を回避して欲しいので、預言を出すが、もはや回避不可能となれば、「教えない」のが原則である。
林雄介with,you。