2015年12月28日月曜日

万里の長城の話。

年末ですね。万里の長城は無用の長物と言われていますけれど、あれは、長篠の合戦の中国版ですね。

長篠の合戦というのは、武田騎馬隊相手に城を作って信長が籠城したわけです。武田と織田が戦った理由も、長篠の合戦で織田と戦わないとさらに大軍で武田が攻められたからでしょう。

万里の長城も、始皇帝の本体が騎馬民族が攻めてきたら攻撃するための柵なんです。万里の長城そのものは、騎馬を止める柵でしかないから、足止めした後に、中国軍が攻撃できない状況であれば使い道はないわけです。
万里の長城というのは、あくまで足止めの道具であって、防衛に使うには騎馬民族と対等以上に戦える軍隊の動員を前提にしているわけです。

歴史は解釈が変わっていくわけ。元寇でも、鎌倉武士は集団戦術に適応して、水際戦術をすぐに産み出したというのが通説に変わっているんですよ。

はやし。林雄介。