2018年8月16日木曜日

blogについて6。(*^_^*)実学と古典で出世する2。

いつもありがとうございます。林雄介です。(*^_^*)

なぜ、古典を学ぶ必要があるのでしょうか?。

文部科学省の局長や幹部が贈収賄や裏口入学で逮捕されました。

儒教というのは、大臣や官僚、昔の支配者階級のための学問です。贈収賄をやって失脚したり、過去の失敗した政治家や国家運営を研究し、失敗しない国家運営、要するに失敗しない組織人の生き方を述べているのが儒教です。

ですから、儒教的な倫理観があれば、裏口入学の機会があっても、手を出さないのです。しかし、儒教は平和な時代の組織人の生き方を述べているので、戦国時代には、実学として兵法や韓非子等の法家思想が重要となるのです。

いつ、どんな古典の知識が活用された?のかを知るためには、歴史を学ぶ必要があるのです。


例えば、戦国時代が平定されてから儒教が広まったとか、始皇帝は法家思想で中国を統一したけれど、すぐに国はつぶれたという話です。戦国時代にも儒教はありましたが、内戦中に儒教なんかやっていたら、戦争が出来なくなるのです。

しかし、倫理観は基本的には戦国時代でも大切です。例えば、和平を持ちかけて、騙し討ちにすると、他の相手は絶対に信用しなくなるのです。

卑怯な戦い方をすれば、近隣諸国は警戒しますし、同盟も結べなくなります。織田信長も恐怖政治をやっているようで、一度も自分から同盟破棄をしたことはありません。
浅井家も、先に浅井家から同盟破棄して攻撃を仕掛けています。相手から同盟破棄をするような環境に追い込んではいても、信長から同盟破棄して攻撃を仕掛けたことはないのです。徳川家康も長男を切腹させろとか、反旗を翻しても問題がないような難題を押し付けられていますが、結局、難題をのみつづけたので、信長は家康との同盟を破棄しなかったのです。

歴史を学ぶことで、どういう状況の時に、儒教が有効か?。兵法を学んだ方がいいのか?。こうしたマクロ・レベルの状況判断に古典や歴史の知識が必要なのです。

もうひとつは、古典の著者と対話するのです。本には、著者の分魂が入っていますから、著者と対話するつもりで、本を読めば、実際に魂レベルでは、孔子でも、孟子でも、対話できるのです。もちろん、孔子の声が聴こえたら邪霊なので、絶対に相手にしないでください。


林雄介with,you。