2015年10月3日土曜日

なぜ、論語を読むのか?

論語は、意思力が強くなるんですよ。一番意志が強いのは日蓮ですけどね。道元も意志強固ですけどね。

意志が弱い人は、論語と道元の本を読んだら、著者の強固な意志が宿っていますから、意志力がつきます。旧約聖書も強固な意志力がつきます。ユダヤ人は頑固でしょ?

儒教のエッセンスは、我が強すぎる中国人に協調性を持たせることです。ですから、儀礼にうるさいんです。孔子が本当にやろうとしていたことは、我が強すぎる中国人を教育で改善しようとしたんです。しかし、中国人でも儒学者でも頑固ですよ。もう1つは、モラルを植えつけて、悪いことをしないようにしたわけです。モラルがある民族相手に、モラルを教えようと思いませんからね。
中国の古典に書いてある、逆が中国人ですからね。礼儀や仁義を教育で刷り込もうとしたということは、礼儀も仁義もない民族だからでしょうね。
論語は意志が強くなるんですが、優しさ、慈愛、そういうのは孟子に書いてあるんです。大学、論語、孟子、中庸はセットになっているんです。単体だと偏っちゃうんですよ。

はやし。